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[小説]デパートにて(前編)

 館内の暖房はやけにあつかった。重たいダウンジャケットを脱いでそれを左腕で抱えてエスカレーターに乗った。左に寄りかかって惰性で進んでいくのでやがて二階に着いた。やたらあついことに気がついたので両腕をまくってみた。三階につくまえに左腕がもそもそして気持ち悪くなったので左腕だけ袖をもどした。三階についたらやっぱり右腕ももそもそするのでやっぱり右ももどした。三階は婦人服売り場だったし、すぐさま四階ゆきに乗ろうと思ったのだがエスカレーター前には官能的なマネキンがたたずんでいた。私は足を止めた。ノースリーブのニットにパンツスタイル、足首は露出しミュールという春めいた姿で色合いも淡目にコーディネートされていた彼女は若い女学生のような華やかさがあり、なおかつそれでいて落ち着いた上品な雰囲気も備えていた。彼女の肌の白さは病的だったし、なにしろ無表情を保って悠然と右斜め前方を見やっているだけだったが、それが余計に私を欲情させたのだろうか。実を言うと、彼女の姿を見たとたん私は自身の顔が一気にほてるのを感じたのだった。さらに背中からは汗がどっと噴きだした。そしてそのむき出しの足首に視線をうつすと心臓が激しく鼓動した。彼女の表情は相変わらずの冷たさだったがそれにひきかえ私の体温はますます高くなったようだった。昂ぶりを悟られないようにさっと目をはずした私は上りエスカレーターに乗りこんだ。婦人服売り場というのがどうしても落ち着かなかったせいでもある。じっくりと彼女を観察することもできなかったが私はほのかな恋の予感を感じた。
 もはや、なぜ今日、デパートに出向いたのか思いだせなくなっていた。私はのろまなエスカレーターを駆けのぼった。屋上階に到達すると、これはいつものことだが荒くなった息を整えつつびくびくして後ろを三回ほど振り返りながら男子トイレへ入った。心臓が高鳴るなか、足音がびっくりするぐらい響いたので特に驚いた。蛍光灯は無機質なタイルを冷たく照らし、独特の芳香が鼻腔を刺激した。店内BGMがかすかにきこえる。人気がない。汗がすっと引くのを感じた。

 手洗い場の鏡を見ると予想外に前髪が額にぴったりと張りついていたので慌てて撫でまわした。その時私はデパートに来た本来の目的を思いだしそうになったが、やっぱりわからなかった。

 二つある個室の奥側は和式で、これはいけない。洋式のほうの個室に入り静かに扉を閉め、鍵をかけてそのまま便座のふたに腰をおろし、ゆっくりと一呼吸落ち着かせて集中力を高めるのがきまりだった。まぶたを閉じる。何やら物音がきこえる。とにかくきこえる。あぁ…これは足音だろう…快活な若い女性だった…ドアを閉める音に…鍵…それからかすかな衣擦れ…カラカラカラ?…これはペーパーの音だ…そうしたらそれを用いて…やがて勢いよく水が流れる…何もかも思い通りに像をむすんだ…壁を隔てた女子トイレは甘酸っぱい香りに充ち満ちていた。

 突然、大きな音がした。途端に視界が無機質になったのは小便器を洗浄する音のせいだった。赤外線センサーがついていないため間欠的に水が一斉に流れて洗浄がおこなわれる小便器は、集中している私を驚かすと同時にいらだたせた。

 すぐに気をとりもどそうとしたがタイルを踏む足音がそれを邪魔した。男はそのまま小便器に向かって用を足しはじめた。例の投げやりで不愉快な水音が耳にこびりついた。一人終わるのをじっと息を殺して身じろぎもせずに耐えているとまた一人やってきた。十分おきの洗浄は相変わらずでこれはまだましだと思えたが、誰も彼も私の邪魔をしているように思える。私の、観念的遊戯を邪魔するのは、一体、なぜなんだろうか。

 我が家でも直子は毎朝、コンコン、コンコンと扉をいらだたしげにノックして私をせかすのだ。「いい加減出てくれない? 朝は忙しいんだから!」 ぎりぎりまで布団からでようとしない直子。ぼさぼさの髪の毛をセットするのにやたら時間をかけ、服を選んで着ては鏡に向かい、ところがせっかく着たのにそれを脱ぎ散らかしてまた選んで着るのを最低三回は繰り返す。化粧は眉毛を描くのがメインになるが、この出来具合が日によって違うのが滑稽だった。ハイテクな温かい便座に腰かけてゆったりと新聞を読むことさえ私には許されていないのだ。

 我慢していると再び静かな時間がおとずれたのは幸運だった。再び没頭した。制服の少女…スカートのひだが擦れ…可愛らしいショーツに手をかける… しみのついたショーツ…体臭が染み込んだショーツ…女子高生のショーツ…ショーツ…あぁショーツ…女子高生!…小便が…ほとばしる! ダイナミックに! 若さの汪溢(おういつ)! 素晴らしい!

 しばしたのしんだ後ふと腕の時計を見ると入って四十五分ほど経っていた。私は個室を長く占拠するほど非常識ではなくまた変態でもない。十五分程度を目安に出ることにしていた。十五分ならちょっと長いくらいで普通なのでいつもは十五分だった。今日は珍しく興奮してなかなか満足しなかっただけだ。別に普段から性欲を持てあましているわけではない。

 若干の気まずさを感じたので、人気のないことを確認して個室の扉をそっとあけて外をみやった。やはり人は誰もいなかった。ほっとして手洗い場の鏡を見ると、前髪が七三にきっちりわかれていたので慌てて撫でまわした。その時、私は何を思ったか「もうやめよう」と呟いた。そして逃げるように屋上に出た。

 ダウンジャケットをはおって辺りを見渡すとやたら広い中にしょうもない軽食店やわびしいゲームコーナー、古ぼけた汚らしいベンチがポツポツ散在しているだけだった。曇天に微風があり人はまばらでなにやら不穏であった。うすらはげの中年が年代物のベンチを占領して居眠りをしていた。彼は仕事をさぼってここにいるのだろうか。それとも仕事をしていないのだろうか。いずれにしても薄らはげだし、肥満だった。向こうでは年若いカップルが何かものを食べていたが、二人ともだんまりを決めこんでいるようで会話がなかった。どちらもひどく不細工でそれが微笑ましくもあった。そうしてぶらぶら歩いてほとぼりをさました。

 エレベーターホールに戻ると、若い女性がエレベーターを待っていた。私は一瞬で彼女の全身を下から上へと走査した。スタイルが良い。それに若い。ああ! さっきトイレで彼女の音がきけたら! さっきの音が彼女だったら! いやもしかするまさに彼女だったかもしれない! 短時間では数人の音をきくのがせいぜいで、それがよりによってお歳をめした方だったとはまったく想像したくなかった。そもそもなぜデパートかと言うと、それなりに清潔感のある女性が集まるとふんでのことだった。汚い婆は取り除かれるべきだった。

 スカート姿のその女性はふともももが露出していたが醜い肉の部分には関心がない。私の趣味は足そのものだった。靴を脱がせたい。靴下も脱がせたい。そうだ、脱がせた靴下は私のペニスにかぶせよう。そしてくるぶしを舐めるのだ。小高い山のふもとから唾液をたっぷりと含ませ最大限にとがらした舌をゆっくりとはわせる。ぐるぐると螺旋状にやがて頂上に達するだろう。外側を終えたら今度は内側、片足終えたらもう片方。その白く青い血管の透けた可愛らしい足の、足首の、そのくるぶしを丹念に舐めてあげよう。ああ、お願いだからその可愛らしいくるぶしを舐めさせておくれ!

 到着したエレベーターに彼女といっしょに乗って一階までおりた。私はその時間中後ろから彼女をながめ、精一杯の視姦をした。

 それで、家に帰った私は、さっそく電話帳でマネキン屋をしらべて電話をかけた。

「もしもし、マネキンありますか?」

 と私はきいた。相手はよくきこえなかったのか、

「なんですって? マグロですか?」

 とききかえしてきた。

「いいえ、マネキンですよ、マ、ネ、キ、ン」

「冷凍マグロならあります」

 はて。私は電話をきった。いくらなんでもマグロに恋したりはしない。どうかしていたのだ。それによく考えてみれば、マネキンであればなんでもいいというわけではなかった。あの三階の山崎リッケンバッハちゃんでなければだめだった。実際、直子に欲情などもうしなくなっていた。だいいち山崎リッケンバッハちゃんのファッションセンスは抜群にいいと思う。直子は何を着てもだめなのだ。毎朝とっかえひっかえしても、持っている服がセンスのかけらもない原色の派手な色合いで型は時代遅れだしわけのわからないスパンコールにヒラヒラのレース、極めつけは花柄だったりするのだった。どれがいい? と私にきいてくるのも腹立たしかった。

 やはり山崎リッケンバッハちゃんでなくてはだめなのだ。

 私は手帳をひろげて、K子の番号をまわした。二回コールして切って、再びコールした。

「あら、ひさしぶりね」

 K子の声はいつきいても変わらなかった。私は簡単な社交辞令を交わして用件をきりだした。

「ちょっと仕事を手伝ってほしいんだ。今回はどうしても君の手助けがいる」

「あなたがそんなことを言うなんて珍しいわね。重要な仕事なのね。もしかして女性関係かしら?」

「実を言うとそうなんだ。ずばり言うけど狙うは西デパート三階エスカレーター前の山崎リッケンバッハちゃん、一目見て気にいっちゃった」

「うふふ、OK、来週の日曜日の夜に決行でいいわね。それまで私は下見をしておくわ」

 さすがK子は話がはやかった。彼女は下見で入念に計画をねり、山崎リッケンバッハちゃんは日曜日きっと私のものになる。そうすればいつでもどこでも押し倒して足首をレロレロしようが何しようが私の自由なのだった。それを思うと心がはずんだ。

 あまりに浮かれたので晩に、仕事から帰った直子とシャンパンを飲んだ。ひさしぶりね、と直子は言った。色も泡も綺麗だわ、とも言った。そしてもちろん味もね、とつけくわえた。それからいろいろ言っていたが空調がやたらごうごううるさくてよくきこえなかった。私が無言でいると直子はぎょろりとした目でじっと見つめてきた。私は視線をあわすことをしなかった。直子の唇は荒れていて少し皮がむけていた。それだけが私の目を惹いた。

 来客をつげるドアのチャイムがなった。一呼吸間があいて再びなった。そしてドアノブをがちゃがちゃ言わす音がきこえてきた。不審であった。こんな時間に誰かしら、と席をたとうとする直子を私は手のジェスチュアで制した。

「私がでよう」

 ガウンを羽織った私は廊下をパタパタ歩いてガチャガチャなるドアの前に立った。

「どなたですか」

 すると向こう側から声がかえってきた。

「隣の佐々木ですけど」

 佐々木氏! いつも薄汚い身なりの佐々木氏! いったいこんな夜中にどんな用件があるというのだろう。私は止まっていた息をやおら意識的に吐いて、冷静さをつくろいドアをあけた。ドアチェーンががしゃりといった。

「夜分おそくすみません」

 佐々木氏は薄ら笑いをうかべていた。私はそれを見て思わず吐き気をもよおした。生理的に受けつけないのだ。やたら腹がたったので怒鳴ってやった。

「いったい何なんですか、こんな夜遅くに。常識外れも甚だしいことだと思いませんか。あなたは私の家を訪問するよりも、あなた自身の存在理由のとおりに、さびしくひっそりとしているのがお似合いなのではありませんか」

 佐々木氏は、おやおや、というようなジェスチュアをしながらこう言った。

「いえ、実はですね、何やらあなたの部屋から『マネキン』という言葉がきこえたような気がしたものですからね」

 何を言っているのだろう、この男は。よりによって私の部屋から「マネキン」だなんて!

「いいがかりもよしてください。私の部屋とあなたの部屋をへだてている壁がある限り、『マネキン』だなんてきこえるはずがないのですよ」

「そうですか? たしかに、きこえたと思ったのですが、私の気のせいでしたか」

「ええ、その通りです。すべてあなたのでっちあげです」

 そう言うと私はゆっくりとドアを閉じて、鍵をまわした。しばらく様子をうかがったが、それきり夜中の玄関はしん、と静まりかえっていた。佐々木氏は人間性を取り戻して自身の部屋へと帰ってくれただろうか。足音がしないのが不気味だった。

 私が部屋にもどると直子は背もたれによりかかって目を閉じていた。

「なんだか少し飲みすぎたみたい。もう寝るね」

 そうは言うものの、彼女は動こうとしなかった。私は彼女を寝室までかつぐはめになり、ベッドに横たわらせたて掛け布団をすっぽりかけた。私もいい加減眠かったので自分のベッドに頭まですっぽりもぐりこんで、不快と不安に喉をふるわせながら眠ることに努めた。

後編に続く

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